様々な立場で小児がんと関わり、向き合った方の思いを綴った手記”小児がんを語る”。
筆者にとっての「小児がん」を語ります。
【プロフィール】
小児血液・がん専門医。国立成育医療研究センター小児がんセンター血液腫瘍科診療部長。
1999年医師免許取得後、東京医科歯科大学医学部附属病院、埼玉県立小児医療センターで勤務。2014年に国立成育医療研究センターに異動し、2018年より現職。小児白血病(特に乳児白血病、急性骨髄性白血病)の治療開発をテーマに国内外で活躍している。
ドラッグラグとは「海外で使われている治療薬が、日本で承認されて使えるようになるまでの時間の差」、ドラッグロスとは「海外ではすでに使われている治療薬が日本では開発着手されず、利用できない状態」をいいます。
小児がんの長期生存率は約80%に向上しましたが、裏を返せば20%は命を失っているということであり、いまだがんは小児期の病死原因第1位であり続けています。さらに、病気を克服しても晩期合併症に苦しむ小児がん経験者が少なからず存在します。より効果的な、より副作用の少ないくすりを使いたい、そのような治療薬が海外にあるのであれば、なぜ日本で使うことができないのか…。患者さんやご家族にとって当然の想いです。
小児は「小さな成人」ではありません。こどもの患者さんにくすりを処方する際、体重が成人の1/3だから成人の1/3量で良い、というわけではないのです。内服したくすりの吸収や代謝など、小児と成人とで違いがあります。小児に使う医薬品こそ、小児の特性を踏まえて小児患者さんに対する有効性・安全性を検証する臨床試験(日本では「治験」とよんでいます)が必要なのです。
実際、日本・米国・欧州の規制当局や製薬業界の代表者が集まる医薬品規制調和国際会議で2000年に採択されたICH-E11※では、このことが初めて合意されました。とはいえ、製薬企業にとって小児向けの医薬品開発は簡単ではないのです。なぜなら、①小児は患者数が少なく市場規模が小さい、②成人と異なる薬物動態、③経口薬では小児向けの剤形開発(散剤や液剤など)が必要、④小児向けの治験に精通した医療機関や人材が不足、などの状況があるからです。 米国では2002~2003年に、欧州では2007年に、医薬品開発を行う際に小児向けの開発計画を義務化する一方で、その医薬品の優先審査権や販売独占権の延長などのインセンティブも付与した、「アメとムチ」の法制度を整備しました。ただし、これらの法律が適用されるのは、原則成人と同じ病気に対する医薬品の小児向け開発に対してです。分子標的薬の場合、病気の種類は違っても標的となる分子異常が共通で有効であることが珍しくないことから、米国では2017年にResearch to Accelerate Cure and Equity (RACE) for Children Actという画期的な法律を制定しました。これは、がんの種類によらずその標的分子や作用機序が共通の場合、すべての新規成人用がん分子標的薬の小児での開発を義務付けたものです。結果、欧米における小児の医薬品開発は加速して小児がんにおけるドラッグラグが、さらに昨今の画期的新薬開発が日本に製造販売拠点を持たない欧米のベンチャー企業を中心に進んでいることなどを背景にドラッグロスが生まれているのです。
※ICH-E11:小児集団における医薬品の臨床試験に関するガイダンス
では、日本でも小児向け医薬品開発を義務化すれば良いのでしょうか?話はそう単純ではありません。製薬企業にしてみれば、小児がんの医薬品開発は採算面から開発コストの負担が見合わないことに加え、開発後に求められる医薬品の安定的供給や安全性監視活動などの法的義務の負担が大きいことが問題なのです。特に、海外の製薬企業にしてみれば、日本の医薬品市場価値が低下している中で仮に義務化だけが先行した場合は、成人向けも含めた日本での開発回避に動くことになります。ラグどころかさらなるロスにつながりかねません。
本邦でも、条件付き承認制度の活用や先駆け審査指定制度の制度化など薬事規制改革等を通じた開発コスト低減と効率向上、小児を対象とした開発に対する薬価加算や再審査期間の延長、医療上の必要性の高い未承認薬・適応外薬検討会議の設置、既承認の医薬品の用法・用量や剤型追加を促進するための特定用途医薬品指定制度など、様々な国の施策がこれまでも講じられてきましたが、十分な開発促進につながりませんでした。
しかしながら、ドラッグラグ解消を求める社会の声の高まりを背景に、この数年で様々な新しい動きが加速しつつあります。厚生労働省の「創薬力の強化・安定供給の確保等のための薬事規制のあり方に関する検討会」では、新薬における小児・成人の同時開発や国際共同治験における日本人データ必要性の見直しなど、本邦の薬事規制のあり方について様々な提言がまとめられました。少なくともその一部は、医薬品医療機器総合機構(PMDA)における小児・希少疾病用医薬品等薬事相談センター新設や、従来は学会等の要望を前提としていた医療上の必要性の高い未承認薬・適応外薬検討会議において国内開発未着手の医薬品を国が主導して製薬企業に開発要請を行うスキーム立ち上げなどにつながりました。また、令和6年度薬価改定では製薬企業による小児向け医薬品開発の促進につながり得る新たなインセンティブが導入され、実際に企業開発が活性化し始めています。
ドラッグラグやロスの解消には、治験をやりやすい環境を整備し、その数を増やすことが鍵になります。これを効率よく進めるためにも、新薬、特にがんに対する分子標的薬の開発では成人との同時開発や国際共同治験の推進が必要です。企業開発が困難な場合には、医師主導治験での開発が重要になりますが、そのための公的予算・研究費の増額や公的な継続的実施基盤の整備、なども必要です。
最後に、小児向け医薬品開発の促進を求めて、患者団体、医療従事者、製薬企業などすべてのステークホルダーがひとつになって声をあげていき、小児がんを取り巻く環境の改善を目指すことが必要不可欠です。